コールド・ムーン
次第に押し迫って来た 2023年~ですね~~~
今年最後の満月が綺麗に見えています。 コールド・ムーンと呼ばれています。

何時もの西側、 比叡山方面です。 お月さんが見えていますが…
映像にすると小さいですね~~~ ズームして見ました。

眼で見ると 大きく感じますし・・・ 7時15分でしたが、日の出も遅くて未だ輝きを失っていませんでした。

この時点で 月齢は15.1% で98%の様です。 正確には昨日の9時半過ぎが100%
だったようですね~~~ 又来年! 顔を見せて呉れますように~~~
今年最後の満月が綺麗に見えています。 コールド・ムーンと呼ばれています。
何時もの西側、 比叡山方面です。 お月さんが見えていますが…
映像にすると小さいですね~~~ ズームして見ました。
眼で見ると 大きく感じますし・・・ 7時15分でしたが、日の出も遅くて未だ輝きを失っていませんでした。
この時点で 月齢は15.1% で98%の様です。 正確には昨日の9時半過ぎが100%
だったようですね~~~ 又来年! 顔を見せて呉れますように~~~

お正月準備
早いもので 令和五年も残すところ、後五日間となりましたね~
ウサギさんから龍(リュウ)にバトンタッチです!
我が家では既に、バトンタッチは終わりました!

九谷焼の龍君です! 中々、貫禄が有るでしよう!
十二支の総てが揃っていますが、次の辰年に再開出来るのか?
疑問だと想い乍、飾り付けましたです!
ウサギさんから龍(リュウ)にバトンタッチです!
我が家では既に、バトンタッチは終わりました!

九谷焼の龍君です! 中々、貫禄が有るでしよう!

十二支の総てが揃っていますが、次の辰年に再開出来るのか?
疑問だと想い乍、飾り付けましたです!

宇佐山城址、壺笠山城址 ④
さて長くなりました 城址巡りですが 今日で御仕舞いとします~~~ので 今暫くお付き合いください❕
壺笠山城址下山後、直ぐ近くに有る こんな場所に行ってきました。

坂本城址に向かいました。
元亀2年(1571年)信長の 比叡山焼き討ちの後、当時宇佐山城主の明智光秀に滋賀郡の支配を
命じ此の坂本城を築かせたのです。 1979年まで 調査もされずにいましたが
大規模な宅地開発が始まり、初めて調査が始まり・・・ 次第に明らかになったようで
本格的な水城で有ったと判って来たのです。 織田方の琵琶湖水運の為、 安土城、長浜城
大溝城、坂本城が中心となり支配を強めて行った重要な城の一つでした。
然し乍ら 本丸跡は一企業の保養所になって居り 立ち入りは出来ません。
不便ながら、隣の有他家のあぜ道を伝い 見に行くことが出来ますが。 水城にて普段は
琵琶湖の中なんです。 最近の渇水で(マイナス73cm)で石垣遺構が少し見え始めました。


この会社の桟橋の下に 石垣の遺構が見えるんです。


石垣の上が本丸跡だそうですが、面影は有りません。 まして二の丸、三の丸は
R161の上側で 住宅街の中だそうですね~~~

桟橋の向こう奥に見える、伊吹山!!!
往時も同じ景色が見えていた筈ですね~~~
更に 大津城址や膳所城址へと向かいました。
何方も水城ですが、大津城は豊臣が、膳所城は家康が命じて出来た水城です。

此処は膳所公園です。 膳所城の本丸跡で。 明治まで残っていましたが
新政府により破却されたそうです。 残念ですね~~~

城奥の湖岸からの眺めです。 比叡山をバックに 近江大橋やプリンスホテルも見えていますね~
破却されたとき、膳所城の門が移されていて 只今も見る事が出来るんです。

此処も当時の城の中でしたが、 只今は膳所神社として残り、本丸御門が残されています。


国の重要文化財として残されています。 軒瓦は此れ~~~

往時の膳所城主の本田家の家紋、立葵紋が善く見えます~~~
如何でしょうか? 戦国時代の戦いが 近江の国ではどれ程激しかったのか?
往時を偲ぶ 山旅、城郭巡りでした~~~
壺笠山城址下山後、直ぐ近くに有る こんな場所に行ってきました。
坂本城址に向かいました。
元亀2年(1571年)信長の 比叡山焼き討ちの後、当時宇佐山城主の明智光秀に滋賀郡の支配を
命じ此の坂本城を築かせたのです。 1979年まで 調査もされずにいましたが
大規模な宅地開発が始まり、初めて調査が始まり・・・ 次第に明らかになったようで
本格的な水城で有ったと判って来たのです。 織田方の琵琶湖水運の為、 安土城、長浜城
大溝城、坂本城が中心となり支配を強めて行った重要な城の一つでした。
然し乍ら 本丸跡は一企業の保養所になって居り 立ち入りは出来ません。
不便ながら、隣の有他家のあぜ道を伝い 見に行くことが出来ますが。 水城にて普段は
琵琶湖の中なんです。 最近の渇水で(マイナス73cm)で石垣遺構が少し見え始めました。
この会社の桟橋の下に 石垣の遺構が見えるんです。
石垣の上が本丸跡だそうですが、面影は有りません。 まして二の丸、三の丸は
R161の上側で 住宅街の中だそうですね~~~

桟橋の向こう奥に見える、伊吹山!!!
往時も同じ景色が見えていた筈ですね~~~

更に 大津城址や膳所城址へと向かいました。
何方も水城ですが、大津城は豊臣が、膳所城は家康が命じて出来た水城です。
此処は膳所公園です。 膳所城の本丸跡で。 明治まで残っていましたが
新政府により破却されたそうです。 残念ですね~~~

城奥の湖岸からの眺めです。 比叡山をバックに 近江大橋やプリンスホテルも見えていますね~
破却されたとき、膳所城の門が移されていて 只今も見る事が出来るんです。
此処も当時の城の中でしたが、 只今は膳所神社として残り、本丸御門が残されています。
国の重要文化財として残されています。 軒瓦は此れ~~~
往時の膳所城主の本田家の家紋、立葵紋が善く見えます~~~
如何でしょうか? 戦国時代の戦いが 近江の国ではどれ程激しかったのか?
往時を偲ぶ 山旅、城郭巡りでした~~~

今日の夕景は黒色
昨日と違い・・・ 昼間の気温は少し上がって来ましたが、 今夕は雨雲が襲来しました。
お昼過ぎまでは快晴で 昨日までと変わりませんでしたが… 夕刻になり
西側から 次第に黒雲が湧いて来たんです。 少し時雨た様ですね~~~

先日 22日の冬至の夕日が沈んだ時にもアップした時と 同じアングルで撮影しました。
較べてみて下さい❕

如何でしょうか? 偉い違いでしょう!
一日として同じ景色の日は有りません。 自然の景色は千変万化~~~
お昼過ぎまでは快晴で 昨日までと変わりませんでしたが… 夕刻になり
西側から 次第に黒雲が湧いて来たんです。 少し時雨た様ですね~~~
先日 22日の冬至の夕日が沈んだ時にもアップした時と 同じアングルで撮影しました。
較べてみて下さい❕
如何でしょうか? 偉い違いでしょう!
一日として同じ景色の日は有りません。 自然の景色は千変万化~~~

今日はChristmas
今日はChristmas!
相変わらず、寒い朝が続く毎日ですね!
年末年始は少し暖かくなる予想ですが…

そんな昨日、親戚の方からお正月用にと、沢山のお野菜が届きました!
嬉しい限りです! 総て無農薬だそうで、有り難いです。
もう何年振りでしようか?
昨日の Eve、毎年来て呉れていた子供達の訪問もなく、家人と二人だけの密やかな夜でした!
子供達も大きくなり次第に足が遠のいて来ました…
彼らの成長を喜ばなければとは思いますが淋しいですネ…
年末年始は、又 賑やかになる予定ですね~
相変わらず、寒い朝が続く毎日ですね!
年末年始は少し暖かくなる予想ですが…

そんな昨日、親戚の方からお正月用にと、沢山のお野菜が届きました!
嬉しい限りです! 総て無農薬だそうで、有り難いです。
もう何年振りでしようか?
昨日の Eve、毎年来て呉れていた子供達の訪問もなく、家人と二人だけの密やかな夜でした!
子供達も大きくなり次第に足が遠のいて来ました…
彼らの成長を喜ばなければとは思いますが淋しいですネ…
年末年始は、又 賑やかになる予定ですね~
宇佐山城址、壺笠山城址 ③
さて 次の目的地は 壺笠山城址です。
大津市穴太(あのう)地区の奥に三角に尖った小山が見えます。 比叡山に続く尾根の一峰に有るんです。
四ツ谷川添いを歩き始め、 古代の穴太野添古墳群の中を通り歩いて行くんです。
数十基もの古墳が残されていますが、多くは未整備のままですね…
更に林道を登り詰めて行きました。

深く切れ込み川面はかなり下ですが、 此の様な樹が生えていました。 前回も葉の有るときに
見掛けています。

今回は冬で 葉は有りませんでしたが、この様な実が付いていましたし・・・

此の様な冬芽も確認出来ました。
奇数羽状複葉の葉と共に ミカン科の キハダでは無いかと推察できました。

此れも少し離れた処のをズームしています。 キンポウゲ科の センニンソウですね~~~
既に果実が熟して 白い毛が拡がり 風に乗りいつでも遠くに飛ぶ準備が出来ていますね~
此の毛を 仙人の髭に見立てての仙人草の名前です。

林道から外れ 壺笠山の手前の急な山道を登り詰めると・・・ 尖った山頂ですが、意外と広い
城跡が有りました。

二つの看板が有りました。 一つは忠兵衛山。 今一つは 青山(あほやま)・389m。
此処も隣の 壺笠山と共に 朝倉方の城跡だそうです。
一度林道まで降り 隣の壺笠山城址へと登り返します。 昔の人はこの様に厳しい
山城を造り 走り回って戦をしていたのかと思うと感慨深いです。


広めの山頂部分は 木が茂り眺望は有りませんでしたが、この様な看板が有りました。
元々 古墳が有り、利用して城を作ったと書かれていますね~~~

此れが 縄張り図です。

壺笠山・421m でした。
勿論 戦では織田方の勝利で 浅井朝倉勢は撤退しています… その後小谷城攻めの戦で
壊滅されてしまうんですね( ^ω^)・・・
此処より更にもう一つ 奥の砦跡にも登ってきました。

此処は更に急な崖の上に有りました。 神輿山(見越山)・441mでしたね~~~
クリスマス・イブの今日は此処までです~~~ 登山と歴史但訪、更には植物等 自然観察も兼ねた
悠ちゃんの山旅でした。 明日にも此の続きが有るんです~~~
大津市穴太(あのう)地区の奥に三角に尖った小山が見えます。 比叡山に続く尾根の一峰に有るんです。
四ツ谷川添いを歩き始め、 古代の穴太野添古墳群の中を通り歩いて行くんです。
数十基もの古墳が残されていますが、多くは未整備のままですね…
更に林道を登り詰めて行きました。
深く切れ込み川面はかなり下ですが、 此の様な樹が生えていました。 前回も葉の有るときに
見掛けています。
今回は冬で 葉は有りませんでしたが、この様な実が付いていましたし・・・
此の様な冬芽も確認出来ました。
奇数羽状複葉の葉と共に ミカン科の キハダでは無いかと推察できました。
此れも少し離れた処のをズームしています。 キンポウゲ科の センニンソウですね~~~
既に果実が熟して 白い毛が拡がり 風に乗りいつでも遠くに飛ぶ準備が出来ていますね~
此の毛を 仙人の髭に見立てての仙人草の名前です。
林道から外れ 壺笠山の手前の急な山道を登り詰めると・・・ 尖った山頂ですが、意外と広い
城跡が有りました。
二つの看板が有りました。 一つは忠兵衛山。 今一つは 青山(あほやま)・389m。
此処も隣の 壺笠山と共に 朝倉方の城跡だそうです。
一度林道まで降り 隣の壺笠山城址へと登り返します。 昔の人はこの様に厳しい
山城を造り 走り回って戦をしていたのかと思うと感慨深いです。
広めの山頂部分は 木が茂り眺望は有りませんでしたが、この様な看板が有りました。
元々 古墳が有り、利用して城を作ったと書かれていますね~~~
此れが 縄張り図です。
壺笠山・421m でした。
勿論 戦では織田方の勝利で 浅井朝倉勢は撤退しています… その後小谷城攻めの戦で
壊滅されてしまうんですね( ^ω^)・・・
此処より更にもう一つ 奥の砦跡にも登ってきました。
此処は更に急な崖の上に有りました。 神輿山(見越山)・441mでしたね~~~
クリスマス・イブの今日は此処までです~~~ 登山と歴史但訪、更には植物等 自然観察も兼ねた
悠ちゃんの山旅でした。 明日にも此の続きが有るんです~~~

2023年の冬至 夕景
さて 昨日はご存じの通り 2023年の冬至の日でしたね~~~
そんな夕刻・・・ 強烈な寒波が日本海方面を襲っていますが、 此処湖南エリアでは
冷風が吹き荒れていて湖西線も遅れているようですが、晴れ渡っていました。
夕景をご覧ください!!!

16時16分です。 ソロソロ日の入りですね~~~
冬至の昨日の 予報での日没時間は16時49分なのですが、 山に囲まれている湖南エリアでは
其れより少し早く山の端に陽が沈むんです~

太陽が山の端に沈み始めました。 16時32分です。
千頭岳より更に左側、大平山辺りかと!
其の左側は此れ・・・

そして右側は・・・

一番右側は比叡山ですね~~~
今年の夏至の折りには 比叡山の少し左側に沈んでいました。 分度器でその角度の違いを手動で
測定して見ました。 約60℃ 西から南側に移動していました。

もう半分ほど落ちました。


16時33分・・・遂に沈んで仕舞いましたね~~~
気象庁の予報よりの13分も早かったです。
滋賀県は山国だから??? 地平線や水平線に沈む時間を発表しているんでしょうネ( ^ω^)・・・
気象庁発表の日の出時刻と日の入り時刻を差し引くと 9時間50分程です。
24時間の内 何と10時間を切るほどに昼が短いんです。

沈んだ直後です。 マダマダお日様の力を感じられますが…
間もなく( ^ω^)・・・ 闇が迫ってきましたね… 夕焼けは余り無かったです。
どう云う気象条件なら 綺麗な夕焼けが見えるんでしょうか???
明日からは 次第に日が長くなり・・・10日後にはお正月!!! 初春を迎える事と成りますね~~~
今年も もう終わるんや~~~ 時は金なり!!! 有効に使おうと感じた年末です。
そんな夕刻・・・ 強烈な寒波が日本海方面を襲っていますが、 此処湖南エリアでは
冷風が吹き荒れていて湖西線も遅れているようですが、晴れ渡っていました。
夕景をご覧ください!!!
16時16分です。 ソロソロ日の入りですね~~~
冬至の昨日の 予報での日没時間は16時49分なのですが、 山に囲まれている湖南エリアでは
其れより少し早く山の端に陽が沈むんです~
太陽が山の端に沈み始めました。 16時32分です。
千頭岳より更に左側、大平山辺りかと!
其の左側は此れ・・・
そして右側は・・・
一番右側は比叡山ですね~~~
今年の夏至の折りには 比叡山の少し左側に沈んでいました。 分度器でその角度の違いを手動で
測定して見ました。 約60℃ 西から南側に移動していました。
もう半分ほど落ちました。
16時33分・・・遂に沈んで仕舞いましたね~~~
気象庁の予報よりの13分も早かったです。

滋賀県は山国だから??? 地平線や水平線に沈む時間を発表しているんでしょうネ( ^ω^)・・・
気象庁発表の日の出時刻と日の入り時刻を差し引くと 9時間50分程です。
24時間の内 何と10時間を切るほどに昼が短いんです。

沈んだ直後です。 マダマダお日様の力を感じられますが…
間もなく( ^ω^)・・・ 闇が迫ってきましたね… 夕焼けは余り無かったです。
どう云う気象条件なら 綺麗な夕焼けが見えるんでしょうか???

明日からは 次第に日が長くなり・・・10日後にはお正月!!! 初春を迎える事と成りますね~~~

今年も もう終わるんや~~~ 時は金なり!!! 有効に使おうと感じた年末です。

宇佐山城址、壺笠山城址 ②
今日22日は 2023年の冬至の日です。
日の出は 7時、日の入りは16時49分の予定ですね~~~
一年で一番昼間が短い日です。
大きな寒波が来ていて 各地で大雪の模様が映し出されていますが、今晩は此処湖南エリアでも
降雪予想の様です!
さて昨日の 宇佐山城址から始めて参ります。

近江神宮の駐車場からの出発です。 よいこの森保育園横の細道から入ります。
左側のケヤキの大木の根元に 道しるべが見えるでしょう!

宇佐八幡宮さんの境内の 金殿水の建物です。 湧水なんでしょうけど
只今では 余り水が出ていない様でした。


急な坂道が参道でしたが、 息を切らしながら本殿まで登り、お詣りをさせて頂きました。
西暦1065年に 源頼義公の別荘が建てられた時からの歴史が有るそうです。


結構な斜面を登っていくと 本丸下の石垣跡が見えて来ました。
此の石垣など 歴史、城郭フェチの方には 堪らないんだそうですね~~~
標高は低いけど、急な斜面に此れだけの石を運び上げた人々の頑張りが眼に見えるからですね~~~

左側が本丸、二の丸跡 右側が三の丸跡で 先ずは右側の景色の良い方に・・・

如何でしょうか? 此方は北側です。 南湖と北湖の境の琵琶湖大橋が見え
更に奥には 白い伊吹山も遠望出来ますね~~~
明るい陽射しに見えていますが、冷たい北風がビュ~ビュ~と吹いて居るんです。

右側には南湖が眼下に見え 大津港や近江大橋も・・・ 朝早くてお日様が真面に射しこんできます。

多くのテレビ塔が立ち並ぶ山頂です。 山頂表示は見つかりませんでしたが… 表示板は有り

端っこに漸く見つけました。 宇佐山 335mと・・・
次の目的地も控えています。 寒い山頂から早々と下山しましたね~~~
尚、此処 宇佐山城の歴史に付いては、昨日のブログをご覧ください!!!
詳しく書き述べて居ります~~~

日の出は 7時、日の入りは16時49分の予定ですね~~~
一年で一番昼間が短い日です。

大きな寒波が来ていて 各地で大雪の模様が映し出されていますが、今晩は此処湖南エリアでも
降雪予想の様です!
さて昨日の 宇佐山城址から始めて参ります。
近江神宮の駐車場からの出発です。 よいこの森保育園横の細道から入ります。
左側のケヤキの大木の根元に 道しるべが見えるでしょう!
宇佐八幡宮さんの境内の 金殿水の建物です。 湧水なんでしょうけど
只今では 余り水が出ていない様でした。
急な坂道が参道でしたが、 息を切らしながら本殿まで登り、お詣りをさせて頂きました。
西暦1065年に 源頼義公の別荘が建てられた時からの歴史が有るそうです。
結構な斜面を登っていくと 本丸下の石垣跡が見えて来ました。
此の石垣など 歴史、城郭フェチの方には 堪らないんだそうですね~~~

標高は低いけど、急な斜面に此れだけの石を運び上げた人々の頑張りが眼に見えるからですね~~~

左側が本丸、二の丸跡 右側が三の丸跡で 先ずは右側の景色の良い方に・・・
如何でしょうか? 此方は北側です。 南湖と北湖の境の琵琶湖大橋が見え
更に奥には 白い伊吹山も遠望出来ますね~~~
明るい陽射しに見えていますが、冷たい北風がビュ~ビュ~と吹いて居るんです。
右側には南湖が眼下に見え 大津港や近江大橋も・・・ 朝早くてお日様が真面に射しこんできます。
多くのテレビ塔が立ち並ぶ山頂です。 山頂表示は見つかりませんでしたが… 表示板は有り
端っこに漸く見つけました。 宇佐山 335mと・・・
次の目的地も控えています。 寒い山頂から早々と下山しましたね~~~
尚、此処 宇佐山城の歴史に付いては、昨日のブログをご覧ください!!!
詳しく書き述べて居ります~~~


宇佐山城址、壺笠山城址
此処3日程 あtぷのお休みをしていましたね( ^ω^)・・・
悠ちゃんは元気なのですが、ネタ不足で申し訳なく~~~
寒波襲来の中、雪のない湖南エリアに的を絞って行ってきました。
何度も行ってる場所ですが、 元亀元年(1570年) 築城された山城です。 宇佐山城です。
築城したのは 信長の腹心の 森可成(子供の森蘭丸が有名?)でした。
同年に終わった 姉川の合戦の後、信長は主力を摂津の野田城、福島城の戦いにに向け転戦していた処
生き残っていた 朝倉、浅井氏に加えて 湖南の六角氏や比叡山の僧兵も加わり
3万人対 織田方1000~3000人の戦いで 圧倒的に不利な森可成でした。
当然討ち死にした織田方ですが、 何とか城だけは死守し残っていたんです。
そんな 宇佐山に登り往時の様子を頭に入れながら 改めて向かいました。
今日は遅くなりましたので、映像は明日以降に紹介する事として 一旦は筆を置きますので
悪しからず・・・

悠ちゃんは元気なのですが、ネタ不足で申し訳なく~~~

寒波襲来の中、雪のない湖南エリアに的を絞って行ってきました。
何度も行ってる場所ですが、 元亀元年(1570年) 築城された山城です。 宇佐山城です。
築城したのは 信長の腹心の 森可成(子供の森蘭丸が有名?)でした。
同年に終わった 姉川の合戦の後、信長は主力を摂津の野田城、福島城の戦いにに向け転戦していた処
生き残っていた 朝倉、浅井氏に加えて 湖南の六角氏や比叡山の僧兵も加わり
3万人対 織田方1000~3000人の戦いで 圧倒的に不利な森可成でした。
当然討ち死にした織田方ですが、 何とか城だけは死守し残っていたんです。
そんな 宇佐山に登り往時の様子を頭に入れながら 改めて向かいました。
今日は遅くなりましたので、映像は明日以降に紹介する事として 一旦は筆を置きますので
悪しからず・・・

NVR友の会12月例会
今日は 栗東自然観察の森のボランティアGの NVR友の会の例会でした。
今日は森の依頼での落ち葉の清掃でした。 ついで乍ら 私達が管理している
岩石標本園も大量の落ち葉です。 同様に清掃しました。
それらの落ち葉を カブト虫Gが飼育しているエリアに集めるんです~

此れが岩石園です。 綺麗になっていますね~~~

此方がカブトムシの寝床です。 山盛りの落ち葉が集まりましたね~~~
今日は17名のメンバーが集まって頑張りました。 皆さん 腰を気使い乍らの作業でしたね~
年齢と共に 次第にキツクなっている様で 今後が心配です・・・
今日は森の依頼での落ち葉の清掃でした。 ついで乍ら 私達が管理している
岩石標本園も大量の落ち葉です。 同様に清掃しました。
それらの落ち葉を カブト虫Gが飼育しているエリアに集めるんです~
此れが岩石園です。 綺麗になっていますね~~~

此方がカブトムシの寝床です。 山盛りの落ち葉が集まりましたね~~~
今日は17名のメンバーが集まって頑張りました。 皆さん 腰を気使い乍らの作業でしたね~
年齢と共に 次第にキツクなっている様で 今後が心配です・・・
