NVR岩石部の活動 ②
河内の風穴の見学を終え 愈々 化石の採集、観察の為に権現谷の奥に入って行きました。
結果 落石の多い権現谷線を恐るおそる登って行きましたが… 河原に降り立つ場所が
発見出来ず 道端の落石を調査するに留まりましたが化石の確認は出来ませんでした。
本来、此処にはフズリナやウミユリ、稀には三葉虫も見つかるそうなのでしたが・・・

権現谷の一番奥に迄足を延ばしました。 此処は岐阜県境の五僧峠です。
西暦1600年 関ケ原の戦の折り 薩摩の島津義弘が此処を抜けて彦根の高宮の河原で一泊し
甲賀を経て境に向かい、船で薩摩まで帰還したそうです。 そんな歴史のある峠で有るし・・・

鈴鹿山系の縦走路(鈴鹿峠~霊仙山100km)の途中に当り 看板右側の谷山と三国岳の中間に
位置します。

この峠から 谷山・霊仙山には 此処から7時間半・・・の表示もされていました。
歴史とアウトドァにも関係しているんですね~


次に向かったのは此処! 多賀大社さんのご神木の大杉が有る 杉坂峠でした。



幹回り12m、樹高37m、推定樹齢400年と書かれていました~ 巨樹と謂われる大きさです。
地面から1.3mの高さで測定し幹回りが3m以上の木は巨木。5m以上は巨樹とされています。
此処から狭い林道を降りた所が 来栖の調宮神社さんで 多賀大社の奥宮でも有ります。


此処の境内にも大イチョウや ムクノキ等の大木が有りました。


此れは樹下に落ちていた イチイの葉と実です。
今月の岩石部の活動は 肝心の化石の発見、採集には至りませんでしたが、
熱い中を無事に活動を終え帰着する事が出来ました。
結果 落石の多い権現谷線を恐るおそる登って行きましたが… 河原に降り立つ場所が
発見出来ず 道端の落石を調査するに留まりましたが化石の確認は出来ませんでした。
本来、此処にはフズリナやウミユリ、稀には三葉虫も見つかるそうなのでしたが・・・
権現谷の一番奥に迄足を延ばしました。 此処は岐阜県境の五僧峠です。
西暦1600年 関ケ原の戦の折り 薩摩の島津義弘が此処を抜けて彦根の高宮の河原で一泊し
甲賀を経て境に向かい、船で薩摩まで帰還したそうです。 そんな歴史のある峠で有るし・・・
鈴鹿山系の縦走路(鈴鹿峠~霊仙山100km)の途中に当り 看板右側の谷山と三国岳の中間に
位置します。
この峠から 谷山・霊仙山には 此処から7時間半・・・の表示もされていました。
歴史とアウトドァにも関係しているんですね~


次に向かったのは此処! 多賀大社さんのご神木の大杉が有る 杉坂峠でした。
幹回り12m、樹高37m、推定樹齢400年と書かれていました~ 巨樹と謂われる大きさです。
地面から1.3mの高さで測定し幹回りが3m以上の木は巨木。5m以上は巨樹とされています。
此処から狭い林道を降りた所が 来栖の調宮神社さんで 多賀大社の奥宮でも有ります。
此処の境内にも大イチョウや ムクノキ等の大木が有りました。
此れは樹下に落ちていた イチイの葉と実です。
今月の岩石部の活動は 肝心の化石の発見、採集には至りませんでしたが、
熱い中を無事に活動を終え帰着する事が出来ました。
